「今日はシェフがいないんです」
朝食を求めて昨日と同じレストランを訪れたら、20歳くらいの青年がそう言った。
「コーヒーか紅茶なら出せます」
「うーん、何か食べ物も欲しいんですよねぇ...」
どうりで今日は他にお客さんがいないわけだ。
青年は少し考えているようだった。店のもう一人の青年と何か話をした。彼らは兄弟なのかもしれない。
青年はメニューブックを持ってきて開いた。「このトーストとオムレツ、コーヒー/紅茶のセットならできますが、どうですか?」
250Rs.か。昨日のプリや一昨日のアルパラタに比べたら多少高い。しかしこの時間、他にカフェもレストランも空いていなさそうである。
「いいですね。ミルクティーでお願いします」
小さめのトースト3枚、ジャムとバター、オムレツというプレートだった。ネパールに来て、初めてこういう朝食らしい朝食を口にした。
食べ終えて残りのミルクティーを飲んでいると、青年が皿を片付けにやってきた。
「シェフが来ました。もし他に注文したいものがあれば、遠慮なく言ってください」
私は思わず笑みをこぼしてしまった。ネパールらしいな。シェフは何をしていたんだ?朝の用事があったのか?まさか寝坊したのか?店を時間通りに開けることを優先した青年たちの判断を尊重したくなった。
「もうお腹いっぱいなので大丈夫です。ありがとう」
今朝は猿が広い通りに溢れていた。
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今日でルンビニとはバイバイである。ホテルの部屋に散らかった荷物をまとめて、リュックに詰め込んだ。タマン・ダイ(Day26参照)を見習い、私も掛け布団を綺麗に畳んでおいた。これからバスに乗るので、トイレを済ませておいた。
階段を降りて部屋を覗くと、オーナーはいなかった。まさかまた不在?と一瞬疑ったが、彼は外にいて、ホースで水をまいていた。「Excuse me」と私が呼ぶと、彼は蛇口をひねり、私のほうにやってきた。「チェックアウトします」と私が言うと、「OK。3泊だったね?」と彼は確認した。私は1000Rs.札3枚、100Rs.札3枚に加えて、50Rs.札を一枚渡した。「チヤも飲んだから。これ受け取ってください」こういうのを忘れず精算しないと気が済まない私は、良心や道徳心というものが行動の原動力なのかもしれない、と思う。
「ローカルバスでナラヤンガート方面へ行きたいのですが」とオーナーに尋ねると、「一旦バイラワまで出れば、バスがいっぱい出ている。この前の道路の反対側から乗ればいいよ」と教えてくださった。ホテルを出たらすぐにバスを拾えた。
私はネパールのローカルバスに乗るにあたって、未だに3つの不安を抱えている。
① 正しい行き先のバスに乗れるか?
② 正しい料金を支払えるか?
③ 正しい場所で降りられるか?
バスのお兄さんは「バイラワ、バイラワ」と外に向かって声を出しているから、①はクリアした。バス乗車前にも「バイラワ ジャネ?」(バイラワ行く?)と、私は確認している。②については、バスのお兄さんは時間が空くと、運賃を回収にバス内を回り出す。これも乗車時に80Rs.と確認しているから、その料金を支払うだけだった。難しくない。あとは、"ブッダチョーク"というところで降りればいいだけだ。目立つし行きにも通過しているし、他に降車する人も多そうである。そんなに心配はいらないだろう。
皮膚の色どうこう言うのはあまり良くないかもしれないが、このバスは黒めの人たちで混み合っていた。インド系のネパール人、あるいはインドから来ている人たちかもしれない。私の理解できない言語が飛び交っていた。異空間のネパールで、さらに異空間を私は感じた。
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私はバイラワで問題なく降りられた。交通整備の警察官の方に、ナラヤンガート行きのバス乗り場を尋ねた。交差点向かいのバス停からブトワル経由で行ける、と彼は言った。すぐにバスがやってきて、バスのおじさんに「ナラヤンガート?」と訊くと、一度頷いて、乗れ乗れというジェスチャーを示した。
乗り継ぎということで、上述①〜③の不安が再度やってくる。それを考えると、私はチクチクとお腹が痛くなった。乗車後に判明したのだが、このバスはブトワル止まりだった。ブトワルで一旦降りて乗り換えるようバスのおじさんは言った。また乗継かぁ。料金はおじさんに言われた通りの70Rs.を渡した。
③については、乗り換え地に着くと、おじさんが私を呼んでくれた。ここで私はバスの最後尾の端に座っていたことを後悔した。バスの人混みをかき分けながら、窒息死しそうになった。バスの中をぐちゃぐちゃにかき乱した末に降りると、「あっちからナラヤンガート行きのバスが出る」とおじさんが教えてくれた。表情は崩さないが、親切な方だった。
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私はナラヤンガート行きのバスに乗り、途中の町で降車して、友人の親御さん宅を訪問する。バスがいくつか止まっていたエリアでその町名を伝えると、バスのお兄さんが私の背中を押して案内してくれた。早くも本日3度目のバス乗車。
発車して手が空くと、バスのお兄さんが運賃回収に回り始めた。私は料金を訊いて300Rs.を支払った。あとは目的地でちゃんと降りるだけだ。Googleマップも時々チェックしよう。
バスは道中、そのへんで手を挙げた人を拾っていく。バス停であろうがなかろうが、ネパールでは関係ない。もちろん決まったバス停でも停車する。バスが止まると、窓からの風も止まる。車内の気温が上がる。私はウィンドブレーカーの下で、ベタベタと汗をかき始めた。
これまでにない悪道だった。工事途中のような道路である。ゴツゴツとした石でバスは跳ねた。何よりひどいのが砂埃だった。砂の匂いというものが明らかに存在している。バスやトラックが通過すると、砂埃が舞った。まるで砂嵐の中をくぐっているかのように、窓が四面とも灰色に包まれた。窓を開けたら砂埃が入ってくるし、窓を閉めたら暑くて耐えられない。多くの乗客がジレンマに苦み、少しだけ開けるという手段を選んでいた。
自分のリュックに目線を下げたら、砂埃が被さっていた。
さすがに乗車前だろう。ネパールは外を歩くだけで、全身きなこおはぎのようになってしまうのである。もしかしたらこの右手も.....さっき持参のクッキーをつまんで食べてしまったが。
窓の外に目をやって、私は言葉を失った。
道路脇の葉や木々まで、灰色に染まっていた。これはひどい。まるでジブリ映画『風の谷のナウシカ』の"腐海"のようである。風や車の通過で舞った砂埃が、そのまま覆いかぶさってしまうのだろう。草木に逃げ場はない。植物が菌類に侵されているかのようである。オームが突然出てきてもおかしくない。ナウシカよりも強烈に、世界の終末を目にしているかのようだった。Day19の実写版『もののけ姫』にせよ、ネパールはリアルジブリパークなのではないかと思えてきた。
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バスのお兄さんと乗客が料金でもめた。窓からの暴風で私は息ができなくなった。そんなことがあったものの、私は他の乗客と一緒に望みの場所で降りることができた。こうやって少しずつ慣れていくしかない。テンプー(トゥクトゥク)に乗り、友人の父母宅にも到着した。
すぐに友人に安堵の報告をした。バスの料金が合計450Rs.だったと伝えると、「いいじゃん」と彼も安堵したようだった。それでは2泊させていただきます。
彼は最後に注意喚起を添えた。
「バスではマスクしたほうがいい。砂埃で病気になる」
それ、本当にナウシカの腐海じゃん。彼にそう言われてから、口の中が少しジャリジャリする気がしてきた。息を大きく吸って吐いてみた。私の肺は正常に機能しているだろうか?マスクを買っておいたほうがよさそうである。