昨日に比べて喉の痛みがだいぶマシになった。喉の一部分にヒリヒリが残っているだけだった。「日本の薬が効いたのよ」とネパリお母さんに言われたが、「いや、あの薬湯が効いたんだと思います」と返答しておいた。そう言ってから、今日も飲まされるんじゃないかと、私は警戒した。
やっぱりチヤが一番美味い。
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治りかけが肝要である。今日もステイホームしよう。シャワーもやめておこう。
午前10時前にカナ①(Day2参照)をいただいた。(食べかかった直後の写真で申し訳ない。)
ライス、アチャール(漬物)、ダル(豆のスープ)、タルカリ(野菜炒め)、カシコマス。欲しいものが全て揃っている。これぞ風邪をも遠ざける栄養満点ダルバートである。
この家は日々の食事に積極的なバリエーションを持たせている。着目すべきは、カシコマスである。
昨日はドライの炒めタイプだった。今日は"ジョール"タイプである。"ジョール"とはネパールにおいて、スープ・汁のことを指す。ちなみにこれに対して、みじん切り玉ねぎでどろっとさせたタイプを"グレイビー"タイプと呼ぶ。
ネパールではどちらも食べられるが、ジョールタイプのほうがネパールカレーらしいと私は思う。ダルも肉のカレーもさらっとスープ状であるのが、私は一番好きである。パラッとした白米によく合うし、油気も少ない。(日本のインドネパール料理店のナンにつけるカレーは、ネパールカレーではない。)
熱いスープに入った山羊肉は、昨日よりも柔らかく感じた。ホロホロと溶けるような違った美味しさがある。スープもトマトベースに香辛料と肉の旨味が溶け込んでいる。このスープが喉に良いと、私は信じたい。ちなみに、食堂やレストランで、肉自体のおかわりは不可能でも、ジョールのみおかわり可能な場合は結構ある。
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ベッドで布団を被っても眠れなかった。昨晩に食べたチャパティにギー(バターオイル)がたっぷり塗ってあったせいか、お腹にガスが溜まっていた。ネパリおじいさんとお母さんは、私には何も言わずにバルコニーに続くドアを開けた。自分の鼻ではわからなくても、他の人の鼻ではわかるのかもしれない。余計に布団を被っていたくなった。
私は14時のチヤタイムで起きた。チヤを飲み終えると、祖母にLINE電話をしてみた、5、6コール目で祖母は出た。喉の調子が良くなってきた、と私は祖母に伝えた。私が「薬湯か日本の薬かどっちが効いたんだか」と言うと、「そりゃ、日本の薬やろ」と祖母は断言した。祖母にとって一番の薬は私からの連絡のようである。
あー、そういえば、と私は祖母に訊きたかったことを思い出した。
「うちって、宗教何?」
先日道端でネパリ男性と話した際、「宗教は何?」と尋ねられた。私はいつも通り、「特定の宗教は信じていないです。僕はヒンドゥー教にも仏教にも、どの宗教に対しても寛容な態度を取りたいと思っています。日本人はクリスマスやハロウィンを祝う一方で、新年の始まりは神社にお参りに行くんです。ある意味テキトーですよ」
彼は私の説明が腑に落ちていないようだった。「いや、そういうことじゃなくて」とより厳密な説明を求められた。「日本の国教って、仏教じゃないの?」と、質問された。私は返答に窮した。
帰宅後、Googleで"日本人 宗教"と検索をかけてみた。Wikipedia に"日本の宗教"というページがあった。
なるほど、日本では信仰の自由として、国教は定められていない。宗教別では仏教が多そうである。2018年のNHK調査によれば、半数以上は"信仰宗教なし"である。私はここに属しているのだろう。
そういう背景があって、我が家の宗教が気になったわけである。祖母はキッパリとこう言った。
「なんで?仏教やん」
そうだっけ?祖母は我が家の宗派についても付け加えた。
「あれっ、ということは、俺は.....」
「仏教徒やよ」
幼少時代を思い出せば、これらは明々白々な事実だった。うちには仏壇がある。1年に1回くらい僧侶の方がやってきて、仏壇の前でお経を読んでいた。私も小さい頃般若心経を覚えて唱えていた。先祖のお墓も仏教に紐付いているような気がする。
しかし、自分が仏教の家に生まれ、仏教徒として育ったなんて意識は、今や持ち合わせていない。大人になって般若心経を唱えようとしても、最初の数行でつまづくくらいあやふやである。ブッダについて高校の倫理で扱った際も、テストのために記憶すべき事象であって、自分事として全く捉えていなかった。
あぁ、これが日本人の典型なのかもしれない、と私は思った。日本人の多く、おそらく特に若者は、私のようにこんなにも宗教に疎いのかもしれない。あるいは、私は典型ではなく、宗教にすっとぼけすぎている稀な例なのかもしれない。なんだか恥ずかしくなった。この薄っぺらい宗教観で、ルンビニを回ったことをもったいなく感じた。
ネパールはヒンドゥー教や仏教が生活と切っても切れない関係にある。そういう人たちからすると、「宗教何?」に対する私の回答を、奇異なものとして受け止めてしまうのだろう。奇異は奇異だとしても、より厚みのある回答を提供すべきである。
まずは中田敦彦のYouTube大学を観るところから始めるか。
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16時頃に「お腹は空いているか?」とネパリお母さんから訊かれた。「少し空いている」と私は答えた。軽食でおなじみの"チョウチョウ"をいただいた。ネパールのインスタント麺である。
普通に辛い。絶対喉に悪い。お母さん曰く、唐辛子は入れずに、添付のスープのみで調理したとのことだった。ネパールはデフォルトが辛い。私は何度かむせた。
だが、私の目の前でこの家の2歳の男の子は、いたって平気な顔でチョウチョウをすすっていた。一切表情を歪めなかった。淡々とフォークですくって、麺を味わっていた。"この子よく泣く子だなぁと思っていたが、辛さに対しては私より強い。" 私は2歳児に敗北感を喫した。
ネパールの食べ物は全体的に辛い。私はココイチ10辛の完食歴があり、辛い料理は得意なほうだが、それでも辛いと感じる。
「こうやってネパールの子どもたちは辛さに対する耐性をつけていくんですね」
子どもの頃から慣れさせておくのが大事なのだろう。大学時代の友人が虫嫌いを解消するためには、小さい頃から虫に触れさせればいいと言っていた。ディズニー・ピクサーの『バクズ・ライフ』を家のテレビで流しっぱなしにすればいい(いや、実際に虫に触ったほうがいいか)。彼女は妖怪に対する免疫を子どもたちに備え付けたとして、『妖怪ウォッチ』を成功例に挙げていた。
しかし、私は小学生の頃に弟と『ピクミン』(ゲームキューブのやつ)を熱心に遊んでいたにもかかわらず、未だにうねうねした虫が苦手である。芋虫やミミズを見ると、飛び上がってしまう。なぜ虫に対する耐性がつかなかったのだろう?
仮説にすぎないが、言語習得論で熱心に取り上げられる"臨界期"のようなものが、言語以外の習得にもあるのかもしれない。つまり、一定の年齢を超えると、耐性が身につきにくくなってしまうのである。
幼児教育における「臨界期」とは?脳科学の観点で幼児教育を考えよう - 英語の保育園・大阪|Brainglish Babyインターナショナルプリスクール
"耐性臨界期説"、そう呼んでみよう。確かに、『ピクミン』に取り組んでいた頃でさえ、すでに私は虫への苦手意識を持っていた。巨大なクイーンチャッピーがゴロゴロと転がり、私のピクミンたちの隊列が全滅したことは、トラウマとして脳の片隅に残っている。それは虫に対する耐性の臨界期を過ぎてしまったからだと推論できる。
いや、ちょっと待て。私は中学校の頃まで中辛のカレーさえ食べられなかった。そんな自分がココイチ10辛を食べられるようになっている(二度と挑戦したいとは思わない)。すなわち、私の辛さへの耐性はかなり後年になって身につけている。子どもの頃ではない。耐性臨界期説の反証出現か?
これはそれぞれの耐性によって、臨界期は異なるからだと考えられる。例えばにすぎないが、言語習得は8歳、虫に対する耐性は5歳、辛さに対する耐性は18歳というように、早いうちでないと体得できないものと、後年でも体得できるものに分けられるのかもしれない。
いや、やっぱ待て。以前テレビで、辛いものは食べれば食べるほど、舌の細胞が変化して食べることができるようになっていくって聞いた気がする。辛さに関しては年齢など関係ないのか?わからん。ごちゃごちゃしてきた。自分で持ち出しておいてなんだが、そもそも臨界期どうこう考えると英才教育的な話になって、自分は好きじゃない。
私は2歳の男の子をじっと見つめた。私がそんなことに思索を巡らしているとはつゆ知らず、彼はあっという間にスープまで完食しきっていた。