Day78: "ワクワク"、102.5℉、解読不可
早朝に目を開いた次の瞬間、激しい吐き気が襲ってきた。食堂から胃にかけて、身体の内側から誰かにぎゅうっと握りしめられているような、耐え難い気持ち悪さだった。起き上がるのも精一杯だった。グラスの水を飲み干しても足らず、非常用のペットボトルを開けた。そうしてズドンとベッドに横にならずにはいられなかった。私は顔を歪めた。ベッドの上で一人うめき声を出した。あかん、これは通院案件だ。
下痢の時と同じく、東京海上日動に連絡をした。すぐにつながった。私は症状や滞在先を伝え、病院の紹介を依頼した。
「受診希望日はどうなさいましょうか?」
「今日です。できるだけ早く」訊くまでもないことである。
1時間以内にまた連絡が来るとのことだった。電話を切ると、私はまたベッドに倒れこんだ。保険会社も忙しい。海外旅行保険でさえ、各国からの非常連絡に対応しているのだ。しかし、私は苦しさゆえ、「おい、早くしろよぉぉぉ」と、独り言として喚いてしまっていた。この待ち時間でさえ、今思えば大人げないくらい私はイライラしてしまっていた。
担当の方から連絡が来た。私が滞在しているイターリには提携病院がないとのことだった。それはわかっている。
「これって、病院代を立て替えして、帰国後請求なら、どの病院でもいいですか?」
「はい、それは問題ございません」
ではそうさせていただきます、と私は電話を切った。
こうして、私は万が一に備えてビニール袋をポケットに突っ込み、家のネパリお父さんに腕をとってもらいながら、近所の病院に向かうことになった。直立することすらできず、明らかに不自然なくらい前屈みになり、ふらふらと歩を進めるしかなかった。マラリアとか、厄介な病気でなければいいが...。
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病院は通り沿いの商店に挟まれていた。これ、病院なのか?と疑うくらい、廃校になった校舎の一部分を借りているような、古い匂いと冷気が漂っていた。受付の看護師さんが医者を呼ぶと言った。座って待っている間に、私の脚がガクガクと震え出した。
10分ほどで、女性看護師さんが私を診察室に案内した。眼鏡をかけた50歳くらいの男性医師が椅子に座っていた。
「ヒジョ ビハナ デキ ガーンティ ドゥケコチャ。アジャ ビハナ デキ "ワクワク" ラゲコチャ」(昨日の朝から喉が痛いです。今朝から吐き気がします)
"ワクワク"とは、決して"興奮している"という意味ではない。ネパール語では"吐き気"を指す。2年前の初ネパール渡航で病院受診した際に、私は"ワクワク"を頭でも身体でも学んでいた。忘れるはずがない単語だった。デレイ ワクワク(めっちゃ気持ち悪い)。
「コキ ラゲコ チャ?」(咳は出る?)
「ラゲコ チャイナ」(出ないです)
医者は私にいくつか質問し、血圧や心拍音などを診た。「喉は完全に真っ赤だ」と医者は指摘した。女性看護師さんが横から私に体温計を渡してきた。
私はそのひんやりした体温計を脇の下に挟んだ。その間に一言、二言、医者が何かを言った。そのまま時が流れていった。体温計がなかなか鳴らない。看護師さんから、取り出すよう言われた。
"102.5°F"と表示されていた。
どういうこと?
あぁ、華氏(℉)か。
「熱がある」と、医者は言った。「熱ありますか?」どうりでさっきから寒気がするわけだ。
「Celcius(摂氏)だとどれくらいなんですか?」と私は尋ねた。「36、37、38、39、40、そのくらい」と医者は答えた。先生、私が訊きたいのはピンポイントの"℃"なんですけど...。36℃と40℃では、ものすごい差があるんですけど...。しかし、そんなやりとりをしている身体的な余裕さえなかった。
後に調べてみて判明した。私は"39.17℃"あったようである。うげぇ、高熱だった。以前初ネパール時に記録した38.9℃を上回った。熱のせいもあって強い吐き気を催していたのかもしれない。
「Virus infection キ something?」(ウイルス感染か何かですか?)という私の質問に対する医者の返答は、「Maybe」(そうかもしれない)だった。
診察が終わり、私はよろよろと立ち上がった。「どうしてそんなに前屈みで歩いているの?お腹痛いの?」と医者が私に尋ねた。いや、だから、吐き気がするねんて。直立できへんのやって。
薬をもらい、血液検査と尿検査を受けてから、私は帰宅した(費用は全部で5000円くらいかかった)。手を洗い終わると、そのままベッドに横になった。外出時の服装のままベッドでは寝たくないというこだわりが私にはあったが、そんなこと気にしていられなかった。
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ネパリお母さんがおかゆを作ってくれたが、数口でギブアップした。後にネパリお父さんが私の代わりに検査結果を聴きに行ってくれ、特に大事には至らないようだった(のだと思う)。"Maybeウイルス感染"だと考えることしか私にはできなかった。
とりあえず薬を飲まないといけない。病院で薬の説明は受けた。しかし6種類は多すぎる。訳がわからなくなる。それにネパールは日本のように、薬を入れた紙袋に"食後に一日3回"、などと記してくれるほど親切ではない。

服用方法は薬の裏側に書かれる。こんなメソポタミア文明の楔形文字みたいなメモ、解読できるわけがない。
どうやら○がそれぞれ"朝・昼・晩"を表すようである。その下は食前か食間かなど、飲むタイミングが書かれている。

薬も"Maybe"で飲んでしまった結果、本来朝晩の食前に飲むべき薬を、夕方の食後に飲んでしまった。こんなん読めるか。ネパールの当たり前は日本の当たり前ではない。もちろん逆も然りである。

レシートは忘れずもらった。果たしてこのわら半紙よりペラペラな走り書きで、帰国後無事保険料の請求ができるのだろうか?
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もう横になっているしかなかった。ベトベトした冷や汗が出てきて、それが一段と気持ち悪さを増幅させた。薬を飲んで少し良くなったかと思ったら、先ほどの飲み間違いのせいもあるのか、再び吐き気が襲来した。かといって、嘔吐までギリギリ達しない。ただただしんどかった。夕食もほとんど手をつけられず、テーブルの上でうなだれていた。地をゆっくりと這うように自室に戻った。
ネパールに来て初めて、ネパールが嫌になった。日本に住んでいてもコロナやインフルに感染するのだから、これはいささか不合理な感情だとわかっていた。しかし、目の前のネパールにしか、私の苦しみの矛先を向けることができなかった。
入院してぇーと私は心の中で叫んだ。2年前に初めてネパールに来た際、私はカトマンズの外国人用病院で4泊5日した。入院代は保険会社がすべてキャッシュレスで対応してくれた。食事は好きなものを好きなだけ選べたし、テレビは見放題だった。私にはそういう快適な記憶が残っていた。いや、あの時も高熱と吐き気で相当苦しかったか。
ネパリお兄さんが私の部屋のドアを開け、鍵をかけずに寝るよう言った。そして「やばいってなったら、俺の部屋のドアを叩いて呼んで」と声をかけてくれた。私は横になった背中を向けながら涙目で頷いた。
もし症状発症が1日遅かったら、私はジャナクプルのホテルで一人もがき苦しむ羽目になった。昨日今日に発症したから、私はイターリのネパリファミリーの家にいるのである。それは不幸中の幸いと言うべきかもしれない、と私は思った。同時に、さらなる迷惑をかけてしまっていることが、心苦しかった。
その夜は発熱時に特有の、夢と現実の狭間を行き来する夜だった。現実だと気づいた時には、首から胸、背中に不快なべっとりした汗を感じた。そして起き上がって水をごくりと飲んだ。Tシャツが空気に触れると、ぞくっとした。すぐにベッドに転がり込んで、布団を被った。現実のような、意識をぐちゃぐちゃに刺激する夢を、また見始めた。朝までその繰り返しだった。
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