Day73: 映画館、サーランギー、生身のネパール
※本日の文字数7000以上。
私は意を決して、朝10時40分に映画館に上映確認の電話をかけた。電話だと声がくぐもってはっきり聴き取れないことがあるから怖い。心臓がドクドクと激しく音を立てた。
しかし、コール音が流れるだけで、誰も出なかった。この時間に電話をかけてくれと言ったのは、そちらではなかったか。まあ、ただ席を外しているだけだろう。
30分後にもう一度かけた。ディディ(お姉さん)が出た。
「ハロー?」
「エクスキューズミー、アージャ "プルナ バハドゥルコ サーランギー" コ フィルム チャルチャ キ?」(すみません、今日"プルナ バハドゥルコ サーランギー"の映画は、上映されますかね?)私はメモ用紙に書いておいた映画のタイトルをそのように読み上げた。
「ハロー?」
「スンヌボ?アージャ "プルナ バハドゥルコ サーランギー" コ...」(聞こえましたか?今日"プルナ バハドゥルコ サーランギー"の...)
「ハロー?」
いや、コントか、と私はツッコミたくなった。なぜか私の声が向こうに聞こえないようである。電話口からガチャっと受話器を置く音がした。
もう一度電話をかけてみた。通話中だった。
私は厚めのジャンバーを羽織り、ニット帽を被って映画館に向かうことにした。今日は日差しが薄い雲に遮られていて少し寒い。
しっかし、平日の真っ昼間からローカル映画館に観客は集まるのだろうか?7、8人に達しなかったら上映されないと、昨日ディディは言っていた。上映されなければ、私は何をすればいいのかわからなくなる。
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カウンターには昨日と同じディディが座っていた。つまり先ほどの電話口のディディも、昨日と同じディディで、このディディだということだった。
「アージャ フィルム チャルチャ?」(今日映画上映しますか?)電話口よりも質問文を短くしたが、ディディは何を言いたいのか理解してくれた。ニット帽を被っていても昨日と同じ客だと認識してくれたようで、「チャルチャ」(上映しますよ)と、優しく微笑んだ。その言葉と微笑みに、私はほっとした。3度電話をかけて繋がらなかったんだぞとなじろうとする気持ちなど、始めからなかったかの如く消え去った。
私はちょうど真ん中辺りのシートを指定した。「エクセエ アッシ」(180です)

180ルピー(約200円)。その安さに驚いた。ディスカウントデイだとは言っていたが、それにしても安すぎる。日本の10分の1である。
「あちらに座ってお待ちください」とディディは言った。私は外で20ルピー(約20円)で1リットルの水を買ってから、ソファーに腰を下ろした。

ロビーは広かった。壁にはネパール映画、インド映画、それにハリウッド映画のポスターが貼られていた。テレビには映画に関連した映像が流れていた。
おじさんが私の隣のソファに座った。ニット帽を被り、マフラーまで首に巻いていた。
「ねぇ君、どの映画観るの?」おじさんは私に話しかけてきた。
「"プルナ...バハ...ドゥルコ...サーランギー"」私はチケットを見ながらたどたどしく答えた。
「何時から?」
「12時15分から。あと30分後です」
「いくらだった?」
「えーっと、エクセエ アッシです」
「カウンターに誰もいないんだよ」
「あれっ、さっきディディがいましたけどね...」と言いながら私は立ち上がった。カウンターに近づいてみると、ガラス仕切りの向こうにディディはちゃんといた。おじさんは、あっ、おったわ、という表情で、チケットを購入しに行った。私とのやり取りが映画を観る決め手になったのかどうかは判然としない。

おじさんはまた元のソファに戻ってきた。「チケット買えましたか?」くらい訊いてあげればよかったのだが、私は無言を貫いてみた。私は見知らぬ人に"自分からは"話しかけない。
そのうちご年配の方々の集団や、ご家族が入ってきた。確かにこれなら7、8人という最低人数を満たしそうだった。その人たちはそのままホールに向かって行ったので、私も腰を上げた。
ホールに向かう通路にガードマンが立っていた。
「これは持ち込めないよ」彼は私のペットボトルを没収して、ラックに置いた。そして、私のボディチェックを始めた。飛行機に乗るわけじゃあるまいし、なんでこんな厳重なのか、と私は首を傾げた。
後に家でネパリお母さんから聞いた話だが、ペットボトルの没収は、外部からの飲食物の持ち込みを禁止することで、中の売店でお金を使わせるためではないか、とのこと。ボディチェックに関しては、「私たちはされなかったよ。外国人で新しい人に見えたからじゃない?爆弾を持っていないかとか」とのことだった。私は爆弾魔ではない。
通路の途中に売店があった。ポップコーンやジュースがメニューに並んでいた。先ほどのペットボトル没収で、そもそも液体物をネパールの映画館は持ち込めないのではないか、と私は不安になった。こんなところでガードマンたちに羽交締めで連行されるのは勘弁である。
立っていたスタッフに、「売店の飲み物を、映画を観ながら飲むのは、大丈夫ですか?」と私は尋ねた。「できますよ」とだけ彼は答えた。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。私はアメリカンコーヒーを120ルピーで購入した。コーヒーがチケット代の3分の2...。
ホール内は日本の映画館と変わりなかった。「Gの6、Gの6...」と呟きながら席を探したが、そもそも列にアルファベットが書かれていなかった。テキトーに真ん中辺りに座ることにした。周りのシートの上には、いくらかポップコーンがこぼされたままだった。
一番後ろの列は、ご年配の方々が並んで座っていた。お客さんは全体的に後ろの席に集まりがちで、大学の一般教養科目の講義を思い出させた。私の前には家族らしき4人が座った。社会的な人生ドラマの映画であるため、子どもは数人しかいなかった。
時間にルーズなネパールでも、12時15分きっかりに会場が暗くなった。よくある予告編のような映像が数本流れた後、映画が始まった。
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https://www.imdb.com/title/tt34498407/
この映画は日本語訳にすれば、"プルナ バハドゥル の サーランギー"となる。そのままである。"サーランギー"にまつわるプルナ バハドゥルさんと、その息子の物語である。10月から公開されており、かなり評判がいいらしい。日本で制作するなら、"具志堅用高のサーターアンダギー"だろうか。
サーランギーというのは、ネパールの伝統楽器である。

弦楽器である。以前マイクロ(ハイエース)に乗っていたら、サーランギーを持ったお兄さんが乗り込んできて、そのまま10分くらい車内でサーランギーを弾きながら歌い、どこかで車が停まるとスッと降りていく、という出来事があった。
ネパールでは、サーランギーの弾き語りを職業としている民族がいる。道端に座ってハンカチを広げて演奏する。あるいは、自ら村から村へと練り歩く。人によってはその演奏に足を止め、ハンカチにお金を置いていく。お祭りなどのイベントで演奏し報酬をもらう。日本でいえば、ストリートミュージシャンを思い浮かべるだろう。

しかし、私は日本のストリートミュージシャンとは似て非なるものだと思う。日本の場合、彼らは自分がやりたいのは音楽だと信じて夢を追う。若者の自由の象徴のようである。それに対してネパールのサーランギー弾きは、不自由な象徴ともいえるかもしれない。つまり、カーストに縛られた職業なのである。
また、日本だと路上でギターを弾いている若者を見ると、私たちは冷たい視線を送りがちである。多くの通行人はちらっと見てから歩き去っていくだけである。ネパールでも路上のサーランギー弾きを素通りする人はいくらでもいるだろう。ただ、ネパリにとって音楽という存在は、日本人にとってのそれよりも、密接に結びついている。サーランギーは伝統でもあるのである。
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映画はストーリーが進み、歌って踊り、丁度良いタイミングで、インターミッションがあった。5分くらいしかなく、トイレ休憩には少し短いような気もした。
2時間半ほどで、エンディングソングが流れ出した。ホールに電気が灯された。先ほどホールで話しかけてきたおじさんが、横の通路を降りていくのが横目に見えた。そして、クレジットロールが流されるや否や、映画は強制終了された。えぇぇぇぇ、それは映画館側がしてよいことなのか!?私は席に座り続けることで抗議姿勢を示そうとした。しかし、ゾロゾロと他の観客たちは出ていき、私が最後の一人になった。大人しく外の曇り空の下に出た。没収されたペットボトルも忘れず取り返した。
いい映画やったなぁ、と私は余韻に浸った。ネパール語は20%くらいしか理解できなかったが、予告編と本編の映像だけで、だいたいストーリーは掴めるものである。
お腹が空いていた。軽食を済ませるためにカフェに入り、チキンロールを食べた。

タンドリーチキンと野菜をバーベキューソースみたいなもので和え、それをナンかパラタで包んだ料理。

とても美味かった。
しかし私はチキンロールよりも、やはり映画に意識が向いていた。感じることが多かっただけに、考えなければならないと思った。カフェでも私はスマホでSafariを開いた。Wikipediaには、物語の顚末がすべて書かれていた。サーランギーについてもこの時調べてみた。
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私が今回の映画を観て良かったと思うわけは、"リアルな"ネパールが描かれていたからである(以下ネタバレ含む)。
物語の舞台は緑が生い茂った村である。それこそ私が山村生活3泊4日(Day18〜Day21)で見たような家で、主人公たちは生活している。学校では子どもたちが裸足で遊ぶ。教育は十分に行き届いておらず、主人公は文字を読めない。病人が出たら、背負いカゴに乗せて遠くまで運ぶ。生活に必須なあらゆるものへのアクセスが不十分な状態なのである。
もう一つ強く印象に残ったのが、やはりカーストについてだった。例えば、何気ないシーンなのだが、服を縫うのを仕事にしている男性に対して、「よぉ、これ縫っといてくれよ!」と、客の男性が服を投げ渡す。これは私の推測にすぎないのだが、裁縫を職業としている民族集団がおそらくいて、男性客は彼らを下に見ているのではないだろうか。
それはサーランギー弾きの主人公に対しても同様だった。「お前らがやっているのは、"お金ください"って乞う仕事だろ!」と、彼は行く先々で時に厳しい言葉を浴びせられる。さらには暴力によって大怪我までさせられる(あれは怪我させたほう訴えられるだろ、とスクリーンに向かって私は叫びたくなった)。
もちろん映画は映画である。現実をモチーフにしていても、現実そのものではない。私の友人はこう言っていた。「ネパールでカーストは、もうないってことになっている」そのうえでこう付け足した。「でもちょっとは残っている」
ちなみにだが、主人公の息子は村を出て医者になる。サーランギー弾きの子がサーランギー弾きに絶対にならないといけない、というわけではないようだった。カーストの外に脱したようで良いことに見えるが、そうなると今度は伝統の消失という問題がついてくるのだろう。一筋縄ではいかない。
伝統、貧困、差別、家族愛、美しい村の景色.....ネパール映画の中のネパール映画と言えるかもしれない(といっても、私がこれまでに観たネパール映画はせいぜい3本だけである)。
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そんな感想を私は自室の机に向かって整理していた。家の7歳の息子くんが「ダーダー!」(おじさん!)と、ドアを叩いてきた。「ディディが来ているから、来て!」と彼は嬉しそうに私の手を引いていった。どうやらこの家の親戚の方々が来られているようだった。
私は皆さんに挨拶をした。ネパールは家族の規模が大きい。親戚の規模も大きい。ネパリお母さんが誰が誰なのか説明してくれたが、脳内に家系図を描いているうちにわけがわからなくなった。
その中に11、12歳くらいの女の子がいた。ジーパンが似合っているスラッとした子で、頭には黒いニット帽を被っていた。なるほど、息子くんからすれば彼女も"ディディ"か。私からしたら"バイニ"(直訳すると"妹")だな。
私が居間の椅子に座っていると、女の子が私のもとに寄ってきた。
「あなたって日本人なの?」ハスキーボイスで、いかにも純粋な好奇心が表れていた。
「日本人だよ」
「じゃあ、日本語をしゃべってみてよ」
「えぇー...、"私の名前はインネパカレー男です"」
彼女は本当にびっくりしたという表情で、顔を輝かせた。この子と話せば、日本国民はあまねく自己肯定感を上げられそうだと思った。
しかし、次の質問は私を硬直させた。
「ねぇ、あなたのカーストって何?」
彼女は確かに"カースト"という言葉を使った。私の聞き間違いではなかったはずである。私は言葉に詰まった。無意識に視線を斜め上に向けた。頭のどの引き出しを開けても、これが正解だという答えが見つからなかった。彼女は輝かしい笑顔を保っていた。会話に不自然な間ができた。
その時息子くんが何か口を挟んだ。それにより、会話はまったく違う方向へと転じた。女の子も同じ質問を繰り返しはしなかった。
女の子は息子くんと遊びながら私に呼びかけてきた。
「ねぇ、マンゴーってネパール語で何って言うか知ってる?」
「アーンプでしょ」
「カボチャは、何って言うでしょうか?」
「ファルシ」
こう言う時に「えぇー、知らないー、教えてー」と子どもを喜ばせる反応ができない真面目な私は、おそらく先ほど息子くんが入ってこなかったら、「日本にはカーストはないんだ、たぶん」と答えていただろうと思った。(うん?本当にないのだろうか?)
私はなんとなく自室に戻った。彼女が"カースト"という言葉を、単に"民族"を指すくらいの意味で使ったのか、それとも"階級"の意味を込めていたのか、それはわからなかった。しかしいずれにせよ、11、12年間生きてきた彼女の世界には、カーストという概念が浸透しているのだろう。そしてカーストはネパールを超えても当たり前だと認識しているのだろう。あぁ、世界は主観的なのである。
やがて夜のカナの準備ができたと、私はネパリお母さんから呼ばれた。親戚の方々はすでにいなかった。女の子もいなかった。ネパリお母さんは言った。
「ネパールはこうやって遠い親戚であっても、お互いの家に集まる。一緒に何か食べる、お話しする、笑う。女の子にもさっきここでご飯を食べさせてから、見送ったの。逆に私たちがあの人たちの家に遊びに行ったら、同じようにしてくれると思う。そういうのって、日本にはある?」
「あまりないですね...。日本はネパールと比べると、家族というものの規模が小さいんです。一人暮らしも多い。そういうことも、うつ病や自殺率と関係しているのかもしれないですね」
外部から来ても家族同様にご飯を食べさせてもらい、ティハールでバイティカを授けてもらい、ギフトまでもらった私からしたら、ネパリの歓迎心というものは、疑いのない本物だった。私は率直に言って、うらやましくなった。
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高校生の頃、森絵都の『カラフル』を読んだ。人間には明るい面も暗い面もある。好きなところも嫌いなところもある。過去の過ちもある。そのすべてが混在しているのが自分なのであり、そんなカラフルな自分を受け入れよう。そしてカラフルな他者を受け入れよう。私は物語のメッセージ性をそう理解した(映画版を観て号泣したからよく覚えている)。
ネパールにだって明るい面も暗い面もある。家族の結びつきが強い。お互いに助け合う。優しい。孤独を感じない。自然が綺麗。料理が美味しい。多文化共生。一方で、貧困。物乞い。教育の問題。国内の仕事の枯渇。ぼったくり。トイレが汚い。道が悪い。カースト。
私の印象だが、日本人はネパールに対して極端なイメージを持っていることが多い。「ネパール行ったら毎日ネパール料理店のようなカレーやね」「ネパールってアジア最貧国だよ。なんであんなやばそうなところに行くの?」こう言われる。
SNSは綺麗な部分のみを流しがちである。ヒマラヤの美しさやネパール料理は確かに魅力的だが、それは入り口にすぎない。会社説明会で自社の良いところしか語らない企業と同じで、嘘のネパールになってしまう(これは私自身への戒めでもある)。問題がないのであれば、インスタグラムにも、一枚おきにネパールのトイレの写真を挟みたいところである。
綺麗なネパールも汚いネパールも、優しいネパールもムカつくネパールも、豊かなネパールも貧しいネパールも、交通渋滞のネパールも山村の孤立のネパールも、静謐なネパールも賑やかなネパールも、自由なネパールも不自由なネパールも.....矛盾を抱えつつすべてが混ざりあっている。それが私の目の前に広がっている生身のネパールなのである。
そして、無限の色彩を持つ複雑なネパールをすべて現実として受け入れ、それでも私はネパールが好きだといえてはじめて、生身のネパールを愛するといえるのではないだろうか。生身の自分、あるいは生身の他者を愛するのと同じように(と、カッコつけて締めてみる)。
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