Day153: 村道作り③、ジャール休憩、頭で引く
起床時に感じたのは、人生で経験したことのない重々しい筋肉痛だった。特に二の腕がズキっとしていた。背中へも太ももへも、痛みは全身に広がっているようだった。慣れない肉体労働は反動が大きい。

朝のカナを食べて、エネルギーを蓄える。今日は叔母さんがパコラ(Day142参照)も添えてくれた。揚げたてでサクッと美味しかった。パコラをもう一個もらい、タマン・バイたちと仕事に出かけた。

昨日の続きから村道作りを始める。ざっと見る限り、村人たちの顔ぶれは昨日と同じだった。私を含む数人以外は、昨日と同じ服装だった。
私はシャベルで、砂利を台車に積んだ。筋肉痛のポイントの筋肉が、ピンポイントで痛んだ。

ネパール全土において、道の整備は重要課題である。安全性や便利さもそうなのだが、健康保護のために必要だと、私は考える。未舗装道路で舞う砂埃を吸い続けたら、気管支がやられ、病気になりかねない(Day29参照)。

土と砂利とセメントで層を作る。水を加えながら混ぜる。台車で運搬し道路に固めていく。それを繰り返す。
やはりドライアイスのような白い煙がもうもうと漂う。作業は交代しながら行っていく。村人たちもノンストップで完遂できるわけではない。

着々とコンクリートの部分が増えてきている。最初は途方もない作業に思えたが、一歩一歩ゴールまで進んでいる。
この日も雲一つない快晴だった。長袖Tシャツの中に熱気がこもった。私は村人たちが飲んでいたペットボトルの水をもらって飲んだ。綺麗なのかどうか確信が持てなかったが、そんなこと構っていられないくらい喉が渇いた。

私は台車運搬の仕事を任された。"マサラ"(Day152参照)は水を加えると、ずっしりと重くなった。私が運ぶ際は少なめに入れてくれた。全力の8割の力を腕に加えて台車を押し、できつつある道路のほうへと向かう。台車を前に傾けて、材料を下ろす。また戻ってきて材料をシャベルで積んでもらう。

それを繰り返す。材料を下ろす際に、私は何度か横に倒れそうになった。その度に村人たちが台車を支えてくれた。「गाह्रो भयो?」(大変?)と、村人に笑顔を向けられる。「अलिकति」(少し)と、私は苦笑いする。

14時を回り、待ちに待った休憩タイムになった。村人全員が地面に腰を下ろした。
私は"ジャール"という家庭酒をいただいた。トウモロコシ粉から作られたとのこと。チャングとジャールの違いを尋ねたところ、ジャールのほうが濃いようである。確かにザラザラとした舌触りがある。大きな器一杯分、すべて飲み干した。

チョウチョウ(ネパールのインスタント麺)に、唐辛子とオレンジを加えたものも一緒に。ジャールを含め、酸味が疲労回復を促進してくれる。

あと一歩で完成。本当にあと一歩分である。私はとりあえず軒下で休んで見守った。
自分の手のひらを見てみると、中指と薬指の元にマメができかけていた。私は隣に座っていたタマン・バイの弟の手のひらを覗き込んでみた。"マメ"というネパール語を知らない私は、「その、手のそういうのって、前から立っているの?」と、彼に尋ねてみた。「うん、前から」と、彼は言った。彼のマメは大きくて硬そうで、たくましさを有していた。
「台車押しますわ」と、私は立ち上がった。最後のひと踏ん張りである。台車のハンドルを握ると、マメがチクチク痛んだ。

完成。すべてコンクリートが詰められ、道が繋がった。
正直こんな道作りに参加して何の意味があるのかと感じた瞬間もあったが、本当に道は人の手によって作られるのだなぁと、私はささやかな感慨に耽った。元々何もなかった地に、家を建て、農業を始め、道を作り、車を走らせるのは、すべて人間なのである。
竣工式で祝福するべきではないかと私は提案したかったが、村人は皆片付けを済ませ、帰宅していった。私もタマン・バイたちと帰った。

「そうだ、インネパにカゴを背負ってもらおう。やってみたいって言ってたよね?」
タマン・バイの弟に着いていき、私はビニールハウスの中に入った。彼は家へと持ち帰る青菜をカゴに入れた。それを紐で囲った。
私はしゃがんで、ヘアバンドのように太くなっている部分を額にかけた。タマン・バイの弟に助けてもらいながら、私は立ち上がった。「紐をもう少し、髪の生え際辺りまで上げるんだ。そうそう」

人生初の背負いカゴ体験。これはせいぜい5kgで、初心者用なのだという。村人は40kgくらいのカゴを平然と背負うらしい。
なぜネパールでは肩にかけずに頭で引くのか、それは私にはよくわからない。下手な背負い方をしたら、首の骨が後ろに折れかねない。〇〇の原理とか科学的な法則があり、そのほうが軽く感じるのかもしれない。脳の血流を活性化させて、賢くなるためかもしれない。
私はそのまま畑の間の坂を登っていった。5kgなので、重さは大したことない。頭も痛くない。だが、左右にバランスを取るのがいささか難しい。転倒しないよう集中を保って、土の階段を一歩一歩上がった。
100mくらいで家に着き、私はカゴを地面に下ろした。この体勢で40kgで何kmも歩くのは、想像しただけで労苦だった。街の人より村の人のほうが、力強くなるわけである。

カジャはジャウロ(ネパールおじや)に、タルカリが添えられていた。

ジャールも忘れずに。休憩だけでなく、仕事終わりもいただく。家で醸造される酒は、飲みやすく悪酔いしにくい。
私にはこの日もう一つのプログラムが残っていた。タマン・バイの親戚のおじいさんが祈祷師の仕事をしているということで、見学しにいった。病人の前で祈りを捧げることで、病気が治るという。
20分ほど見学した。蝋燭のようなものに火をつけ、念仏を唱え、病人から病気を追い払うような動作を繰り返していた。ある人曰く、「病人が祈祷師によって治ると信じていれば治る。信じていなければ治らない。そういう話」。私も"そういう話"に同意した。

このご家庭でまで、カジャをいただいた。チウラとタルカリを食べた。タルカリにはカリフラワーやエンドウ豆だけでなく、スクティ(水牛干し肉)炒めが混ざっていた。私は家庭で作るスクティを食べたことがなかったが、噛みごたえがあり美味しかった。チヤも飲み干すと、シャワーを浴びるために帰宅した。
村人の何気ない日常生活が、外国人にとって初めての作業になり、初めてのグルメになり、初めての感触になる。村にいると、五感が若返りそうである。
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